写真家 新正卓 Photonwork4 インタビューその2

コマーシャルフォトグラファーから写真表現者へ

シリアスなフォトグラファーを目指して その2

 

-photonwork-

『遥かなる祖国』において、「見る」とはどういったことですか。また、新正さんにとって、肖像写真を撮るとはどういったことでしょうか?

 

-新正-

七八年、時を同じくしたころの話、写真家としてのスタンスにブレが生じ出すほどの動揺に遭遇したことを先ほど話しました。第二次大戦集結直後、旧満州でぼくと家族が難民生活を強いられたさなかに「生きて引き裂かれ」、消息不明になっていた乳母(ユキ・母方の小母)から突然生存の知らせが届いたわけです。三十二年ぶりの奇跡の再会と、ニューヨーク取材の 『アメリカン・パロディー』 が東京で同時限に出版され、その成功に少々浮かれた気分が重なってしまったのでした。しかしこの複雑な状況を契機にして、敗戦直後のあの狂気が呼び覚まされたことも事実です。当然のことながらコマーシャルの仕事から角度を変えた主題(構造)に傾斜し始め、行き着いた先が国策としての開拓移民問題でした。四〇代半ばにして、敗戦直後の満州という大地(『私は誰ですか』)に思考を定め直すこと、そして、遥かその延長線上に明治時代に飛翔していた日本人の魂を、北米の大地(アメリカ・ハワイ諸島・カナダ)やさらに遠い南米の大地 ( 『遥かなる祖国』 ) に探し求めることを夢想し始めることになっていたのです。
  『遥かなる祖国』 プロジェクト取材の六割がブラジルで完結しています。なぜこれほどブラジルに入れ込んだのか当時の自分には明解な理論が組み立てられていませんでした。要するに 『CARNAVAL』 『TO MY ANGELS』 で培ったロケーションハントの「旅」の充実と人脈を得たことに尽きると思います。
  多様な人種に寛大でおおらかな大国ブラジル、無尽蔵に広がる原始林を抱え込んだ大地そのものに魅せられてしまったのです。強烈なエネルギーに満ちた「大地の匂い」があの時点で、探し求めていた Wonder・land(「夢探し」)であるまいか? と、写真家の本能(嗅覚)が蠢動し始めていたことも幸いだったのでしょうね。

 

私は誰ですか

 

-photonwork-

非常に大掛かりなプロジェクトであった 『私は誰ですか』 「6〜9」ですが、どのようにして持続させることが可能だったのでしょうか。

 

 

-新正-

確かに新正という写真家の最も中核をなす構造(肖像写真)だと思っています。きっかけは乳母との再会の七九年に始まり、厚生省レベルでの親探しが正式に始まったのが八一年春からです。九〇年終戦四十五回目の夏、第二〇次訪日調査までの未判明孤児一〇九二名の肖像写真名鑑『私は誰ですか』を全国からの浄財で刊行することができました。この肖像写真名鑑は日本人孤児たちのアイデンティティ捜索につきます。日本人の身元を明らかにすること、写真家として「写真でなにができるか」を証明したかった。この刊行を契機に全国六カ所のデパートなどのパブリックな場で『親探し行動展』を開催し、多くの方々に「日本人の心」の問題を写真家として喚起できたと思います。
  九九年、第三〇次訪日調査(最終回)までの未判明者の肖像は未だ刊行されず、僕のファイルで眠ったままの状態です。日本人としての負(敗戦)への記憶は朧にかすみ始めていますかねぇ…(笑)

 

-photonwork-

新正さんにとって、肖像写真とはなにを伝えるものですか?

 

-新正-

僕の肖像写真のことをまだ話しますか…? 昨年末の 『ARAMASA Taku Photographs・黙示』 展のホワイトキューブ、あの会場の写真すべてが僕流の肖像(Photograph)エッセンスだと確信しています。ここで改めて言葉にかえたくないのですがねぇ…。大勢の学生たちがこの春からフリーランサーとして写真家に帰る僕への餞として論考をプレゼントしてくれています。ホワイトキューブの風景や物まで、すべての表現が「新正卓の肖像」だと学生達は論じてくれていますが…。

 

-photonwork-

個展「双家族」では境界の向こう側とこちら側を想起させますが、境界についてどのように感じていらっしゃいましたか?

 

-新正-

先ほどから日本人の負の心、魂のことを自虐的に話していますよねぇ。良心とか魂みたいなものは物質ではないから映像には写りませんよね。近年脳内の生物学的機能の解明がかなり進んだようですが、美などの「抽象性」を把握しイメージとして創出させる生理学的部位の特定までしか認知されていませんよねぇ。ご存知のように日本の国境とは具体化された目印がありませんね。机上で海図上のボーダーでしかないわけなのです。例えば、日本人と北朝鮮人と「心」の対話を必要としていたとします。しかし両国のボーダーへの認識の違いが大きすぎて、真からの相互理解にいまだ至っていないようです。「心」とか「美」とかに表象された抽象認識にも当然境界の認知があって然るべきです。写真をしていかに抽象構造をもって成立させうる「境界」の理念を抽出し、映像として創出が可能か? 写真教育の現場を去って後の、僕の課題の一つかもしれません。

 

 

-photonwork-

『酋長の系譜』 『沈黙の大地/シベリア』 「10〜14」 『約束の大地/アメリカ』 「15〜19」 の3部作で歴史や記憶と向きあったことによる自身の変化はどういったものでしょうか。

 

約束の大地/アメリカ

 

-新正-

昨年末刊行(武蔵野美術大学出版局刊)された僕のアンソロジー『黙示』巻頭の写真論(沈黙の叙法・大嶋浩)で 『遥かなる祖国』 『沈黙の大地/シベリア』 『約束の大地/アメリカ』 を「戦後を問う三部作」と批評していただいたのですが、実は僕自身はそのように論じたことはありません。もしも「戦後を問う三部作」という文言を使うなら、『私は誰ですか』 を配してほしいものです。僕は、「敗戦後六〇周年を自ら意識するための二部作」としての講義の場で 『沈黙の大地/シベリア』 と 『約束の大地/アメリカ』 を後年論じたことはあります。(「沈黙の大地/シベリア」は終戦五〇周年記念展として九五年に個展を開催しています)
  前回のPhotonwork 第〇三号のインタビューで、僕のコマーシャル時代の発言にある通り、『遥かなる祖国』 はむしろ 『TO MY ANGELS』 と表裏をなすもので、いわば僕自身のネバーランド(無境界の大地と人)をイメージしたものです。無論、『遥かなる祖国』 では日本の移民行政に関して「国策」という文言を使用しましたが第二次大戦の敗戦と直接関連した論旨は一切持ち込んでいません。個として、敗戦(歴史)の記憶を意識的にイメージ(記憶)するとき被害者や加害者の立場での記述法も持ち込んでいないつもりです。
  表記お尋ねの三つのプロジェクトは、歴史化された国家的記憶を大上段に振りかぶった創作ではないつもりです。いずれも少年期の記憶の既視感が基になったのみといえます。運命として素直な記憶への追体験的叙述法の一端でしょうね。