写真家 新正卓 Photonwork3 インタビューその3

グラフィックデザイナーからコマーシャルフォトグラファーへ

イメージを超えたイメージの世界を求めて

 

アメリカン・パロディー

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三冊目の『アメリカン・パロディー』 [9] は、その意味でも、とても示唆的な作品に思えるのですが。というのも、あの作品は、アメリカのイメージのイメージを撮っている写真ですよね。つまり、写真の虚構性や演出性を全面に押し出し、強烈に露呈させることで成り立っている。

 

-新正-

『アメリカン・パロディー』(一九七七、北斗企画刊)は、インターナショナルなフォトグラファーを目指して、僕のアメリカ、僕のニューヨークを撮ってやろうという意気込みで、ニューヨークに飛んで仕上げた写真集なんです。当時、自己資金五〇〇万円をポケットに、知り合いを介して、ニューヨークのファッション業界ですごい力を持っていた、故アントニオ・ロペスというイラストレーターを紹介してもらい、彼のロフトに連日通いつめました。ロペスという人は毎年、トップレベルのファッションモデルを世に送り出すことで知られている著名人で、例えば山口小夜子も彼によって世に送り出された人です。彼のアトリエには、有名無名を問わず、毎日十数人もの野心の或るモデルや女優が面接に出入りしていた。その中から「君のイメージに合ったモデルを探しなさい」と、丸一ヶ月、とんでもないモデル探しをしていたわけですが、どのモデルも素晴らしいし、どのモデルも違うよなーあと、贅沢過ぎて軟弱な僕は一向に決められない。「僕のニューヨーク」がイメージの構造として出来上がっていなかったことが原因です。だらしの無い話で、ひと月経っても決められない。もうニューヨークを諦め尻尾を巻いて帰国だと、その旨をロペスに伝えると、彼は取巻きの女性たちをロフトに集めお別れパーティーを開いてくれました。そのパーティーの終わりに、僕は最期まで残っていたモデルを一階まで見送っていったのですが、すでに売り出し中の一流モデル、ロペスのアトリエでひと月前に紹介されテストシュートも終わっていた人でした。一人専用の極端に狭いエレベーターに二人で乗りながら、ふと彼女の胸が僕の背中に触れるわけです。なんか、その乳房がいやに一寸硬いんですね(笑)。で、「君の胸はプラスチックかい?」と聞いたら、彼女があっけらかんと「そうよ」と言うわけです。その瞬間、頭の中は稲妻がスパーク、イメージが勝手に踊り出しちゃった。プラスチックこそニューヨークだ、スーパーマンこそアメリカだ、ピストルや$こそがニューヨークだと。すぐさま、アニタ・ラッセルを伴つてロペスの階に取って返し「彼女をモデルに写真を撮る」と、その場でモデル契約をしてその後二ケ月をかけて『アメリカン・パロディー』を完成させました。

 

-photonwork-

面白いエピソードですね。まさに彼女のプラスチックの胸に、アメリカを、ニューヨークを見たわけですね。

 

-新正-

アメリカは人工的につくられたイメージでしかない、ということですね。『アメリカン・パロディー』は、NYの出版界で好評を博し、それなりの評価をもらいました。そのうちの一枚、ネオン管をヌードに絡ませ六十四階の屋上で夜景をバックに撮影の真っ最中に突発事件が発生したの。七七年真夏の夜の大停電にぶつかった。孝か不幸か真っ暗闇にシルエットのニューヨーク、この写真はそれこそ有名になって高額で売れました。ところがその後の話、NYのある批評家が『アメリカン・パロディー』を撮った写真家が日本人だとは知らなかったようです。「『アメリカン・パロディー』は本当のニューヨークじゃない、あれはフランス人が見たフランス風なアメリカだ」と言うわけです。

 イメージを虚像としてのアメリカを勝手に撮っているわけですから、本当も嘘もないのですが(笑)。ただその時ちょっとほろ苦かった。ニューヨークを撮ってフランス人の写真に間違われることが、インターナショナルな感性ではないんだぞ、と強く思いました。その後、時間はかかりましたが、日本のことを良く知っている人こそが、むしろインターナショナルになれるんだと認識するようになりました。それを理解するようになったのも、七七年暮れ以降、中国残留孤児の人たちを撮り続ける中でだったと思います。