写真家 新正卓 Photonwork3 インタビューその1

グラフィックデザイナーからコマーシャルフォトグラファーへ

インターナショナルなフォトグラファーを目指して

 

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新正さんは、グラフィックデザイナーから写真家に転身なされたわけですが、その経緯をお話しいただけますか?

 

新正卓 出発の時

-新正-

グラフィックデザイナーという立場上、多くの写真家の方とお付き合いもありましたし、数多くの写真も見ていました。一九六〇年代の中頃から、ミクロネシアのパラオ諸島(現リパブリック・オブ・べラウ)に繊維関係のカレンダーの撮影に同行したり、化粧品会社のサマーキャンペーンの企画を持ち込んだりしていました。また自身の休暇を利用してスキンダイブにたびたび通い肉体や精神の野生を再発見するとともに、パラオ諸島北端に位置するカヤンガル島で自分のイメージ探しのトレーニングも行っていました。一片の染みもない宏大な海原の中心に自分の視点を置いて、鋭利なカミソリで雲ひとつない青空を切り裂き、その一ひらのイメージを手にする。やがて、トランク一杯分ぐらいの35ミリのフィルムがたまり、当時、「カメラ毎日」の編集者だった山岸省二(写真編集界の天皇と言われていた)さんにそれを見られてしまった。山岸さんとはグラフィックデザイナーの立場でのお付き合いだったんだけど、膨大なトレーニングフィルムの中からたった一枚摘み出し「偶然とは恐ろしい、すべてが滓かすだけど、この一枚だけは好いね」と、その写真が「カメラ毎日」(一九六九年八月号・女、新鋭12人競作)にW頁で掲載されることになってしまった。それがいわゆるデビュー作の「出発の時」です [1]。

 新宿ゴールデン街で高梨豊さんに「あの写真はパーフェクトだ」と胡麻をかけられたり、仕事仲間として付き合いの深かった吉田大朋、西宮正明などの著名なカメラマン達の煽おだてに乗せられたりしたことで、わりと単純に木に登ってしまったわけです。翌一九七〇年に写真家宣言をし、その後、十年間、ファッション写真や広告写真を撮っていくことになります [2〜5]。

 

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その後、広告写真家として活動していく中で、五冊のNUDE PHOTO SERIES をお出しになりますね。

 

-新正-

写真家宣言後、七三年から七六年まで、文化出版局の特派員として、パリ支局でファッション写真を撮りながら、夏のバカンス期には、パラオ諸島に通ってイメージの確立を探り続けました。その間に、『逆行サンゴ礁』(一九七四、文化出版局刊)という紀行文を出版したりもしました。そのパラオ諸島で撮影した初の写真集が『エリカ』(一九七六、企画構成 山岸省二・デザイン長友啓典K2、北欧社刊)です [6〜8]。これより早く沢渡朔さんが初のヌード写真集(一九七三、NADIA)を出しています。これらの写真集は一人のモデル(女性)をテーマにした、写真出版業界では初めてのヌード写真集でした。おそらくこの二冊が一人のモデルをテーマにしたヌード写真集の先駆けだと思います。

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